2011年3月18日金曜日

東北大震災に感じたこと。「家の文化」と「個の文化」

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東北大震災では非常に多くの人が亡くなる最悪の結果になってしまいました。
ブログ記事を書いている現在(2011.03.18)でも避難している方々は大変な生活をされており、心からお見舞い申し上げたいと思います。

本当はブログにこの話題を書くつもりもなかったのですが、色々な映像や事実を見るにつけ、ぼくなりに色々考えたことがあるのでここに整理したいと思っています。

今回震災で感じたのは日本人の国民性の素敵さと、その拠り所について、です。

東北大震災での日本人の対応

ぼく自身もまさに震災の時に渋谷で仕事中だったので、徒歩帰宅の列や、渋谷駅前の大混雑を目の当たりにしました。でも、異常事態は感じさせるものの、みんな秩序だった振る舞いで淡々と帰宅をしていました。

ぼくの大好きなブロガーのちきりんも、茨城からの帰途での諸々の出来事を事細かに綴って、最後にこんな言葉で締めていました。

最も伝えたいことは、この国の人のミラクルに近い行動様式です。ちきりんはこの24時間に「怒っている人」「怒鳴っている人」「文句を言っている人」に、ひとりも会わなかった。上野駅で我が儘を言う酔っぱらいのおじさんを一人見ただけ。この国は本当にミラクルです。

03.11 大惨事とミラクル(Chikirinの日記)


確かに考えてみれば、世界各国どこを見ても、こんなに秩序だった行動ができる国はありません。どちらかというとこの行動様式に疑問を持っても良いレベルです。

河合隼雄が阪神大震災で感じたこと

そんな中、ふと思い出したのが河合隼雄(※1)が阪神大震災でメンタルケアしたときのエピソードです。手元に本がないのでうろ覚えですが趣旨としてはこんなことだったと記憶してます。(正確でない点があったらご容赦を)

・日本人は阪神大震災での立ち直りがすごく早かった。
・しかし、個人でひどい目に合うと、なかなか立ち直れない性質がある。
・立ち直れない一番の理由は自分ごと感の欠如で「結局自分でなんとかしなくてはどうにもならないのだ!」となりにくい。
・一方でアメリカ人はこれはもう立ち直れないだろう、というレベルの犯罪や事故にあっても自分でなんとかしようと立ち直ってゆく

河合隼雄先生はこの違いを「家の文化」と「個の文化」と表現しました。

日本人は最小の単位が家なので、家で物事を考える。だから、個人、というレベルでの攻撃を受けるとなかなか立ち直れない。逆に全体で受けた攻撃には家で団結しながら立ち直っていく、ということでした。

今回の震災で感じた「家の文化」の良い面

実はぼくは「家の文化」に対して「古い」「不自由」「足の引っ張り合いになる」など、マイナスのイメージを持っていました。また、ビジネスのスタイルがアメリカナイズされていく中で、個人の余暇を重視したり、個人の成果を重んじたり、「家の文化」から「個の文化」への移り変わりを肌で感じ、良い面のほうが大きいのだろうな、と思っていました。

でも今回の震災で露呈した日本人の本性は「家の文化」そのものでした。

モラルの高さも、協力しあう姿も、災害時の「不謹慎ですが」を使ったツイートも、この文化に根ざしたものだとわかります。そこにはみんなでこの災害を受け止めようという姿勢があると思います。

これは災害大国の日本で醸成された世界まれに見る素敵な文化なのだと思いました。

「個の文化」をベースにした仕事や生活のスタイルに良い面があることは事実ですが、一方で「家の文化」をベースにした新しい生活のスタイルを模索することも必要ではないでしょうか。

※1:河合隼雄
ぼくの大好きな心理学者。元文化庁長官でもある。
参考:河合隼雄wiki

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