2012年8月20日月曜日

独占は必要悪。市場の成長にブレーキをかけよう。

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社会の変化スピードが早すぎて、とてもついていけないなと感じることがあります。

下は1年ぐらい前に話題になった動画。ご覧になった方も多いと思いますが、こんな進化のスピードはこの先も続いていくんだろうなと考えさせられます。


一方で、心の病も増えています。

体感的なところでは、自分の交友関係のうち、半数程度は過去に精神的な理由から休職や転職を経験しています。

統計的に見ても、国内の自殺者数は30,000人/年。年々増え続けているし、内訳を見るとうつ病が多くを占めます。行方不明者は80,000人/年程度ですから、実際にはもっと多くの人が命を絶っていると言えそうです。

関連リンク
自殺死亡の年次推移(厚生労働省)
平成22年中における自殺の概要資料(警察庁)※PDF

そんなのを見ると、生活水準は格段にあがっているし、ITの技術でいつでも自由にみんなと繋がれるようになったのに、人間はなぜこんなに解放されないのかな、と感じてしまいます。


この点に関する自分なりの仮説の1つに
『競争が激しすぎること』があります。


少し競争環境で起こる新陳代謝に関して振り返ってみます。

10人で農業を営んでいる国家があったとします。競争を続ける中で、5人で全員の食事をまかなえるようになると、効率の悪かった残りの5人は失業します。スピンアウトした人々は別の付加価値を生むために別の仕事をします。料理人として仕事をする人もいれば歌手として仕事をする人もいる。どんどん豊かな社会になっていく、というわけです。

確かに成長において最高のメカニズムですし、新陳代謝の中で失業が出てくることもやむなし、と考えられます。

一方で、人の心にフォーカスをあててみると、過当競争でどこまでも変化のスピードをあげていくと、人の新陳代謝もスピードアップします。

どんどん新しい職種にチャレンジしないといけない、どんどん新しいことを覚えないといけない。生まれるストレスは想像以上だと思うのです。

ここで一歩、幸福実現という青臭いテーマに立ち返って考えてみると、サービスの享受する側としての自分はどんどん豊かになる反面、サービスを提供する側としての自分は過当競争のストレスにさらされることになります。

資本主義である以上、成長を促進するため、独禁法が必要なのはそりゃそうだと思うけれど、実は独占や寡占、談合は必要悪のような気もしてきます。

だって、もはや、これ以上あげる必要がない水準まで、消費者の生活はたどり着いてるじゃないですか。生活者としての自分は十分満足していると思うのです。

社会には少し進化にブレーキをかける仕組みが必要になってきてるのではないでしょうか。

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