2013年8月19日月曜日

生活保護が必要だと思う理由

01:53 mins - この記事を読むのにかかる時間

生活保護の受給者が年々増えていることや、生活保護を受けて贅沢なサービスを受けることが問題になっています。(※1)確かに多少制度のリバランスは必要だろうなぁと思いつつも、生活保護はやはり必要だし、今後も継続すべき、というのが個人的な意見です。

労働するなり、投資するなり、なんでも構いませんが自分の力で稼いで生活していく、には社会の仕組みにある程度自分を適合していく必要があります。しかし、適合出来ない人が一定数存在するのも避けられない事実です。

こうした2つのタイプが所属する仕組みは(どちらが正しいという議論ではありませんが)多数決的にメインシステムとサブシステムと呼ぶことが出来ます。

ぼくが生活保護を支持しているのは、サブシステムをケアすることが重要だと考えるからです。

オウム真理教は社会のサブシステム

地下鉄サリン事件の時に強く感じたのは、元凶になったオウム真理教は社会のサブシステムとしての役割をよく果たしていたんじゃないかな、ということです。

彼らはメインシステムとして生きていくことが本当の幸せなのか疑問を持ち、精神世界への探求をしていく中でオウム真理教に没入していきます。
※村上春樹の「約束された場所で」というオウム信者のインタビュー本を読むとよくこのあたりがわかるのでオススメしておきます。

過労死や晩婚化、ワーキングプア、など、メインシステムとなる社会の仕組みが生む軋轢は厳しいものがあるし、仕組み自体に多くの矛盾を抱えています。そうした面で、うまく折り合いをつけるのではなく、ストイックに物事を突き詰めていくオウム信者の考え方にはある種非常に共感出来るところがあります。
メインシステムへの疑問意識を持った人々が生活する基盤としてサブシステムが生まれてくることは理解出来るところです。

オウム真理教の問題点

一方で、オウム真理教は麻原彰晃の独裁という大きな問題も抱えていました。

真っ当な疑問意識を持った人々がなんでそこで麻原崇拝に走っちゃうかな、というのはさておき、結果的に麻原崇拝が行き過ぎてしまったし、麻原もそれを維持するために外部に敵を作り、地下鉄サリン事件を起こすことになりました。

サブシステムの必要性や必然性は感じられますが、そのサブシステムの向かう最下流が社会的に許容出来るレベルか、という議論は別途あるわけです。

地下鉄サリン事件は、少なくともオウム真理教のようなサブシステムは避けなければならない、という強い教訓になりました。

メインシステムに適合出来ない人のための制度が必要

このような意味で、サブシステムをどうケアするかという問題は1つの重要なテーマです。

地下鉄サリン事件のような現象を生活保護1つで拾える、ということではもちろんありませんが、メインシステムに幸福を感じない人々を一定水準まで幸福度を担保する仕組みとして生活保護は有効だと思います。個人所得で700万までは幸福度と年収は相関関係があると言われていますから(※2)メインシステムと深く関わらなくても最低限の水準まで所得水準をあげることに意義はあります。

サブシステムを切り離すのではなくて、サブシステムも幸福に生活する多様性のある社会のほうが良い社会だと思います。その代償としてメインシステムで真面目に働いている人々の血税を使っていることに不公平感を感じることは否めないけれど、大きな観点ではそのことで真面目に働いている人も恩恵を受けていると捉えることもできます。

生活保護受給者の主張に関して個別の問題を見ると呆れてしまうことも多いのですが、1つの税金だと思って負担する必要があるのでは、というのがぼくの意見です。

参考図書:
村上春樹がオウム信者にインタビューした本です。インタビューの内容もさることながら、末尾に掲載されている村上春樹と河合隼雄の対談が非常に興味深いです。「善」「悪」の基準はどこにあるのか?どう悪と付き合っていくべきか、非常に洞察が鋭いのでぜひご一読を。
約束された場所で―underground 2 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋
売り上げランキング: 9,955

---
※もちろん、生活保護は様々な理由で本当に働くことが出来ない人々を救う措置ですから、上記のような不当受給と言うべき人だけでない点は注記として残しておきます。

※1:参考記事
生活保護 パチンコ規制に受給者「生きる楽しみが無くなる。タバコももうアカンと思ってしまう」
車所有で生活保護却下、市に処分取り消し命令

※2:ソース
大阪大学社会経済研究所『なぜあなたは不幸なのか』(PDF)

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにキャベツダイアリーの更新情報が届きます。よかったら。