2011年2月14日月曜日

宗教について思うことを2つ。メモ的にエントリー

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オウム真理教の一連の事件があったころから、なんだか興味があって、よく犯罪や宗教について考えるんだけど、最近こうなんじゃないかな、と思ったことがあったので、メモ的にエントリーしてみます。

今日のメモは2つ。
・宗教はこころを、法律は行動を制約する。
・軸が1つになるのは人間にとってらくちん。

宗教はこころを、法律は行動を制約する

1つは
「宗教はこころを、法律は行動を制約する」
ということです。

例えばキリスト教だと聖書にこんなことが書いてあります。

人に腹を立てる事は、罪です。裁きに値する罪です。腹を立て、他の人を「ばかもの」と呼ぶのは罪です。また、腹を立てて、「うるさい」という事は罪です。皮肉を言い、人々をあざけり、悪口を言う事は、大きな痛みの原因です。抑制できない怒りは、つねにその人間関係を壊します。


宗教には「内面的な罪」という概念があります。例えば、上のお話で言うと、怒って「うるさい」と言う、行動に関して罪だと書いてある一方で、既に「人に腹をたてることは罪です」、とこころに関しても罪としているわけです。

現代の日本って無信教なので、内面的な思いを罪とすることってあまりないんじゃないかな、と思います。どちらかというと行動に対してこんなことしてはならない、という抑制があります。

目に見えて第3者的に判断ができるのは「こころ」じゃなくて「行動」なので、これを法律で抑制することで社会秩序を保っているわけです。

一方で、どれだけ効果があるかわからないけれど、宗教というのは「こころ」にフォーカスした形で抑制をすることで「行動」も抑制していこうとしているのだと思います。

ローレンス・レッシグによると人間の行動を抑制するのは「規範 法律 市場 アーキテクチャ」の4つだそうです。
この中で言うと、宗教っていうのは「規範」にフォーカスしている、といえるんじゃないかなと思います。

軸が1つになるのは人間にとってらくちん。

宗教では、上でお話ししたような「規範」が非常にはっきりしている、という特徴があると思います。

これは以前エントリーした↓の記事で言うところの軸が1つになる、ということで、非常にらくちんな精神状態を生み出すのだと思います。

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現代って、インターネットのない時代に比べるとひとりが触れることのできる考え方の軸がめちゃめちゃ増えています。そうすると自分の行動を規範していく考え方があまりにも多様になりすぎて、生きづらくなってくるんだと思います。

そこで上のように宗教が1つの規範を示し、他を誤りである、とするとこれは生きやすくなるんだろうと思います。

信仰心の深い人が持つ独特の安定感ってこれが根拠になってるんだろうと思うのです。

宗教って時々考えると面白い

宗教の定義って知ってますか?

実は気になって調べてみたことがあるんだけど、本当にたくさんの定義が存在します。
かつて、日本の文部省宗務課が作成した「宗教定義集」でも104の定義が挙げられているんだそうです。

すごく古くからあるのに、いったい何なんだかわからない、っていうこの正体不明さとか、宇宙なみに不思議ーとよく思います。

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