2010年8月28日土曜日

うそは常備薬、真実は劇薬。

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ぼくが大学生のころに読んだ本の中で、今でも読み返す本があります。
河合隼雄の「こころの処方箋」という短編なのだけど、この中に出てくる言葉で秀逸な名言があるので、ひとつ紹介したいなと思って記事にしてみました。

うそは常備薬、真実は劇薬

それがこの言葉。
真実を口にすることが必ずしも良い事ではない、むしろ、劇薬なのだから使いどころはわきまえよう。うそは、常備薬。使いすぎに注意が必要だけど、円滑に進むシーンも多い、ということです。

個人的には嘘にだって劇薬が隠れていることがあると思うし、嘘の「質」みたいなとこやシチュエーションもあるとおもうのだけど、(当然河合隼雄先生ならそんなのわかって書いてると思うけど)当時確かにそのとおりだなぁ、と思いました。

うそは常備薬のことを突然思い出したエピソード

あるぼくのお友達に誠実な人がいて、彼女は本当に誠実なのでいつも真実を話し続けないといけないと思っていました。一生懸命、真実を話す彼女は空気も読める方だったので、ある時は口を噤まなきゃいけないシーンも多くて、コミュニケーションに疲れる、、、と言ってました。

そんな時に、この言葉を紹介したのですが、半年後にあった時に、あの言葉を教えてもらってから、嘘をつくのは相変わらずできないけど、少し気が楽になった。と言ってました。

その時に思ったんだけど、ぼくらは真実であること、とか正しくあること、に対して潔癖になりすぎてるんじゃないかな、と感じました。対人関係の話をするともちろん誠実であることや真実であることはとても大切だと思うのだけど、一方でぼくらの心の中で疲れやストレスを貯める要因になっているような気もするのです。

常備薬と劇薬の間に

本書の中ではカラオケが下手な人のエピソードが出てきます。

「歌が下手ですね」と言ってしまうと、真実過ぎてこの後のコミュニケーションに支障をきたす。
「歌が上手ですね」と言ったほうがその場は丸く収まる。しかし、常備薬、使いすぎに注意。

そこで、うそをつくことを嫌うアメリカ人に目を向けると、
「心がこもっていましたね」といったコメントになるそうです。歌の上手下手にフォーカスしないところに意図はあるわけだけど真実です。

彼らは真実でも嘘でもない表現をするのが大得意。
日本人もこんなコミュニケーションを身につけるといいんじゃないかな?というのが彼の主張です。

ただ、こういう表現だけを使ったらすべての心のストレスが消えるってもんでもないと思うわけです。やはり常備薬、劇薬、常備薬と劇薬の間という3点をバランスよく使いこなすことが重要ではないかと思うのです。

読む前にも、意識してこういった表現ができるとよいなと思っていたけどひとつ体系化が進んだのは本書の影響だなと思います。

ちなみにこの本、
「暗い時はろうそくを消すと返ってよく見える」
「ほんとも休み休み言え。」
「100%正しい忠告はまず役に立たない」
などヒントいっぱいです。

こころの処方箋 (新潮文庫)
河合 隼雄
新潮社
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