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ぼくは小さい頃からヤンキーがあまり好きじゃありません。
暴力的だし、カッコつけてるし、悪いことするし、人を悲しませるし、、、。でもいろいろあるんだけど整理すると、理由は2つにまとまる気がしています。
それはこの2つ。
・ヤンキー実はいいやつ、という神話
・目的のなさ
この2つに関しては昔からずっと言い続けてきたのだけど、「ヤンキー実はイイヤツという神話」、に関して、気づいた点があったので記事にしてみることにしました。
目的のなさ
やはりヤンキーの良くないところは目的のなさ、じゃないかなと感じてます。学校なんて嫌いだ、とか先生なんて嫌いだ、とか勉強なんて嫌いだ、とかいろんなことに反抗してみせると思います。社会ではいろんな大変なことがあります。ある時は建前を使わなくちゃいけない時もあるし、ある時にはすごい我慢してみせないといけない時もあります。それが耐えられないわけです。許せない!
ぼくは、そこに対して何かしら対抗するアクションをしてみよう、ということで(良くない形でも)抵抗してみるのは別にいいと思ってるんです。社会人になってうだうだするよりは、その時期しっかり壁にぶつかって反抗してみたらいいんじゃないかな、と思ってるんです。
ただ、群れから外れているのに、暴走族とかに入っちゃうと、すげぇ上下関係があったり、同じ服装して同じ文化であることをアピールしてみたり、先輩に目をつけられた友達を無視してみたりとか。
そう、社会に抵抗してるつもりなのにヤンキー社会という、より画一性の高い社会にばっちしはまりきっちゃうわけです。
この矛盾に気づかないままなのがなんともいえない微妙さを醸し出しています。
ギャル男はいいのです。女の子ひっかけることが目的だから。でもヤンキーはその目的がない故に無駄に社会性を発揮していて見ていて気持ちが悪いのです。
実はイイヤツという価値の相対化
昔いろいろで書いたことがあるので、重複するかもしれないけど、1個エピソード。大学生の頃に友達が、ヤンキーの上のほうはイイヤツだ、とおっしゃってて。小学生ぐらいの頃にトイレに入ろうとしたら、ヤンキーが割り込もうとしてきたのだけど、親玉ヤンキーがそれを制して「この子が先に並んでただろ」と、言って譲ってくれた、というお話です。彼はいたく感動したらしく、ヤンキーの中でも上にいるやつはイイヤツだ、という考えになった、ということでした。
でも、これってすごいおかしいと思うわけです。
何しろ当たり前のことだし。
普段は喧嘩して人のことなぐったり、ちょっと我慢出来ないぐらいでぎゃーぎゃー言うのに、ちょっと普通のことするだけで実はいいやつに早変わりするわけです。
そんなの一生懸命良いこと積み上げてる一般人が報われません。
中にある問題と外にある問題
ここまで書いてみたのですが、整理してみると、実はぼくが持っている問題意識は、ヤンキーの中にある問題、外にある問題、とにわけられるようです。中にある問題:反抗してるつもりなのにやたら社会人
外にある問題:悪いことしてるのに評価が歪んでる
中にある問題に関しては別に良いのだけど、この外にある問題:悪いことしてるのに評価が歪んでる、という点に関してはヤンキーそのものではなくて、ぼくたち:非ヤンキーに問題があるように思います。
ぼくは昔から、どちらかというとヤンキーが出てくるのは仕方がないのだけど、ヤンキー実はいいやつ、という価値の相対化のほうがなんか報われない感じがしてすごくやでした。高校生の頃、ヤンキーに恐喝されて噂になってたあのヲタっぽい男の子までなんだか仕方なかったと言われてる気がするじゃないですか。
ヲタもヤンキーもフェアに評価してあげようよ、と思っていたわけです。
価値を相対的にしか判断できないぼくら
ここからが最近そっかー、と思ったこと。ヤンキーに相対的な評価をする非ヤンキーに憤りを感じていたぼくなんだけど、これ仕方がないんだ、と感じました。
お友達に行動経済学の本を借りて読んだんだけど、その中に、人間は価値を相対的にしか判断できない、という節がありました。こんな実験。
A:イケメン1 Bとは違うタイプ
A':イケメン1をブサイクにしたやつ
B:イケメン2 Aとは違うタイプ
B':イケメン2をブサイクにしたやつ
という4枚の写真を用意して、大学生の女の子に誰とデートしたいか尋ねます。
1つ目のグループには「A、A'、B」
2つ目のグループには「A、B'、B」
を見せるのですが、
1つ目のグループではA
2つ目のグループではB
がそれぞれ大人気になるそうです。
つまり、ブサイクなバージョンが混じっているほうがカッコよく見える、ということです。
このことからわかるのは、人間は比較しやすしほうで、比較する、ということでした。タイプが違いすぎて比較できない、AとBを比較してどちらかを選ぶのは難しいけど、Aを明らかにブサイクにしたA'とAだったら比較しやすいわけです。
これは価格設定をするときには非常に重要で、売れ筋商品と似ていて比較しやすい微妙商品を横におけば、ほかの商品よりも魅力的に映る、ということです。
ヤンキーにはこの効果がすごくよく反映されてるんじゃないかな、と感じました。何しろ比較が簡単。普段あれだけ悪いことをしていたら、普通のことをしていてもすごく良い事してるように見える。悪いことが目立つだけになおさらです。しかし、普通の高校生は普段から良い事してるから、普通のことをしても比較しづらい。
→やっぱりヤンキーは意外とイイヤツ、ということになるんじゃないかなって。
そう考えると、ヤンキーがトイレ譲ってくれたことに感謝する人がいるのも、仕方ないのかな、と思えてきます。
なんとなく分かっていたことなのだけど、そんな理論の後ろ盾ができてひどく納得してしまいました。
絶対的に判断できることはない
絶対的に何かと比較しないで評価を下すことは非常に難しいと思うから、ある程度上の法則はあてはまっちゃうんだろうな、と思います。でも、このことを知っていれば、比較で評価が歪んでいないかな?と自問できると思うのです。ヤンキーの話じゃないにせよ、多かれ、少なかれ、こういった比較をしながら生活している毎日なので、なるべくフェアに評価が下せるように意識したいなと感じました。P.S.
余談だけど、最近本を読んでいると全く新しい知識を得る、ということよりは潜在的に頭の中にあることが、知識として入ることで顕在化した、と感じることが多くなった気がするなぁ。
予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
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